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三味線はじめました

ご報告

ひさしぶりに書く。書こう書こうと思いつつ、素直に接続できなくて、このエキサイトブログ。ログインまではできるんだけど、何かしようとすると、『このページは表示できません』のエラー。インターネットオプションで履歴やキャッシュなど削除してから、再度ログイン、新規投稿という手順を踏まないと、書けなくなってしまったのです(泣)。オプション設定を変えればいいと思うじゃない?やってるのよ、とっくの昔に。でも、削除画面へ行って削除しなきゃアクセスできない。ログイン前にあらかじめ削除しとけばと思うじゃない?やってみたけど、だめなのよね。どうやら、いったんエラー画面が出さないとだめらしい(笑)なんだそりゃ。

このエラーが出たのが、マレーシアへ来てから。来た当初は、ブログ書く余裕なんてなかったから、気づいたのは結構あとのことで、原因がマレーシア(というか海外からのアクセス)なのかどうかはわからないけど、今度日本へ帰って、やっぱりエラーが出るなら、引っ越しだなぁ。

ということで、 帰ります!日本へ!!

すっごいびっくり、自分が。まさかこういう形で帰国しようとは、思いもよらなかった。契約は3年、私の計画では2年、ここで働くつもりだった。経験年数や、環境、状況など考えて、やっぱり3年かと思った時期もあったし、ついこの間まで2年か3年かで迷ってた。まさか1年半で辞めるとは。2年または3年働いて、経験とお金を貯めて大学院へ行って、マスター取って、JICAかJFか海外の大学の日本語学科で教えて、ゆくゆくは国際交流関連の仕事をしたいな(漠然)というプランだったが、9月から、元の職場で働くことになった。180° 変えた自分の人生、また180°転換させて、360°回転、一回り。おいおいおい、である。

GWちょっと前かな、元の職場の社長からメールが来て、戻ってこないかと言われた。その内容がまた、『先日お会いしたとき(2月に帰ったとき、一度飲んでる)、貴方の人生設計に狂いが生じているように思われたのは、私の勘違いでしょうか』と、わたし大爆笑。大爆笑しながら、わたしの送った念がどうやら届いたらしい、と思った。はっきりと戻りたいと思ってたわけじゃない。でも、懐かしかったし、助けてほしかった。手を差し伸べてほしかった、たぶん。バイトでいいから、仕事させてほしかったのは事実。でも、新しい人材も入って、もう用無しなんだなぁ、と寂しかったし、日本語教師一本で食べてかなきゃいけない!と腹をくくった飲みでもあった。

信じられない想いで、メールのやりとりすること数回。待遇は前回から10万アップ(ま!具体的!!)、だいたいマックスの残業代を固定給にしてくれた感じ。要するに役職手当がついて、残業代はつかないわけなんだけど、さすがに毎月マックスで残業してたわけじゃないので、わたしにとってはプラス。

すっごーーーく悩んだ。気持ち悪くなるくらい考えた。日本語教師として、これからなのはわかってたし、ここでキャリアを中断することが、どういうことなのか。だいたいにして、あんなに熱望して、希望で胸がパンパンになって、絶対的な自信をもって転職したのに。前職は、それこそ気持ち悪くなるくらい嫌だったし、しんどかったし、しかも2年以上のブランクがある。この2年を、設計に費やしていたら、今頃自分はどうなっていたのか、その自分と復帰した自分とのギャップを考えると、歯ぎしりしたくなるというか。メリットとデメリットをそれぞれ書き出してみたら?と周りから言われたけど、こんなに五分五分だったことは、かつてない。今まで、自分の中でいつも道は決まっていて、それを裏付けるためにメリットとデメリットについて検討してきた。こんなに五分五分で、叫びだしたいほど、どうしていいかわからないって、はじめて。もう誰かに決めてほしいくらい。サイコロでも振ってほしいくらい(自分では振りたくない)。

決め手は、圧倒的な金額の差だね(笑)、やっぱり。物価の違いもあるから、一概には言えないけど、軽く3倍くらい? it's too tempting to pass up!!! ウィンドウショッピングしていて、素敵なピアスを見つけて、万単位のそれを買えるか買えないか、そんな単純なことを考えた。折しもGW、日本にいたのよね。有楽町や横浜を歩きながら、今の自分と前職の自分と、経済力の差を思い知らされた。隣でアクセサリーを見ていた男の子、彼女に買ってあげるんだろうな、店員さんとやりとりしてる。わたしは、自分で自分にぽんっと買ってあげることができる。できた、以前は。復帰すれば、また買うことができるんだ、このピアス。と思って、誕生日だったし、買っちゃった(笑)。たぶん、その瞬間に決心したんだと思う。

あー、自分はこんな人間なんだな、と思った。物欲がないようなふりして、ファッション好きだし、好きなものを身に着けてればテンション上がるし、ダンスだ、旅行だ、舞台だと、何かとお金がかかる(笑)。そういうもの一切我慢してでも、日本語教師をしたいと思ってるはずだった。そういう計画だったのに。養成講座を受講して、資格試験にパスして、マレーシアで経験積んで、緻密に計画してきたつもりが、たったひとつ、誤算は自分の心だったわけで。

もうひとつ、うんざりする想いで直視したのが、自分の『ステイタス』なるようなものに対する執着。

設計士の自分と日本語教師の自分、市場価値。うんざりする、そういう見方をするのか、自分は。ずっと認めたくなかったけど、今回そんなことを天秤にかけてる自分がありありと見えた。それならば、これから先の選択を見誤らないために、そんな自分の思考回路を自覚したほうがいい。いつか、心から、そんなのは違うとわかる日が来るかもしれない。きてほしい、間違ってるとわかっているから。ここまで考えて、冷静に考えれば、ステイタスも何もあったもんじゃないんだけど(笑)、わたし。

とにかく、懐かしいのね。理詰めで設計を組み立てていって、隙を作らず、相手を納得させる、その過程が懐かしい。ハプニング発生で、夜中まで客相手にあーでもない、こーでもない、共同戦線張ったり、そういうのが懐かしい。納期が迫って、周囲からヘルプが入って、みんなでえっさえっさと仕事する雰囲気が懐かしい。無事納品して、頭も体も心も緩んで飲むビールが懐かしい。そして、翌日寝坊して、10時過ぎに会社へ電話しても、笑って許される(それだけ納期まで踏ん張って仕事してたってことで)環境が懐かしい。ミスに気付かず、後から客に指摘されて、足が震える、これは懐かしくない。二度と経験したくない。そういえば、この2年間、足が震えたことなんてなかったなぁ、それはそれで幸せだよなぁ、ほんとに戻って大丈夫なのかしら、わたし。決心してからも、ときどき、不安に思ったりする。

9月中旬ごろ、スペインとモロッコを旅行してから帰ろうと、目下、粛々と計画中。結局、道を間違えたんじゃね?というご指摘には、否と言いたい(願望)。これがなければ腹がくくれなかったと思う。海外で暮らしている人たちに対する嫉妬が解消されたし、どこかにバラ色の天職と未来があるんじゃないかという妄想を打ち砕くことができたし、外に出ることで設計の仕事と自分自身をフラットに見つめることができて、成長したし変わったと思うし、日本語教師の実務経験を手にいれたことは事実で、ある程度の自信もついたし、スキルが一つ増えたわけだし、なにより、マレーシアでの日々、楽しいこともたくさんあった。学生にたくさん優しさをもらった。世界が広がった。いい思い出がたくさんあるもん。心から、学生が支えてくれたからこそ、今のわたしがいる。とかって、まだ、もう少し続きます。今日も教案書いたしぃぃぃ。



by chiezo-h | 2015-06-07 17:44 | 日記

日本語教師としてモロッコ赴任をもくろむ30代の日記
by ちえこ
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